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    「中勘助随筆集」の世界

    • 2013.02.15 Friday
    • 15:41
     

     僕です。今日は息抜きに「中勘助随筆集」を読みました。これに収録されている「夏目先生と私」「猫の親子」についてお話しようと思います。
     まず「夏目先生と私」ですが、夏目先生とは、いわずもがな漱石のことです。東大英文科に席を置いた中勘助は、その教師という形で漱石と出会います。当時「我が輩は猫である」を既に発表していた漱石ですが、勘助はその作品に興味を示すどころか軽い侮蔑の念を抱きます。そもそも詩的なものに赴きを置いていたこともあってか、散文には至って冷淡というわけでした。その後国文科に移り卒業。漱石とも疎遠になっていくわけですが、「銀の匙」を執筆し、これの批評を漱石に求めることから、元来人間嫌いな彼らのこそばゆい友情が生まれてゆきます。
     作品の中でも言っているように、知らない人間は即ち嫌いな人間であるという勘助と、人間を理解し、その理解故に懊悩する漱石が、交わす言葉の少ないうちにも、心の熱を照らし合います。その摩擦の冷ややかなることが、時に愛おしく思えたりもするのです。

     次に「猫の親子」ですが、僕はこれが大好きです。梶井基次郎の作品こそ文学において最も美しいと、僕はいまでもそう思うのですが、これに比肩する程のものです。よく文学の主題になる人間以外の代物、中でも動物についてのものは星の数ほどあるわけですが、その中でも、これは一等星とも言える輝きをその文章に纏っています。檸檬がシリウスなら、これはアンタレスといった具合でしょうか。
     とにかく美しい。ありのままを描く美、即ち目に見えぬもの以外は描かないといったクールベのリアリズムを彷彿とさせるような美しさを感じます。動物という僕たちの理解を超えた存在をありありと切り取って、ここにある変哲無い感動を提供してくれます。
     こういった作品に巡り合うことがあると、やはり文学とは芸術の一端を担うこと、その魅力というものを再確認できます。
     胸のすくような思いです。とにかく素晴らしい、美しかった。
     

    「銀の匙」の世界

    • 2013.02.14 Thursday
    • 15:30


     僕です。今日は息抜きに、中勘助の「銀の匙」(1910)を読みました。自伝的に綴られてゆく幼心を通したきらめくような世界の広がっていること、これは間違いありません。しかし、折々ひらがなの連続で読みにくい箇所もあったりと(これを絶賛した漱石も、ここばかりには言及した様子です)確かに美しい文章、瞬間の切り取りはあるのですが、それのみを取り上げるわけにもいかないといった印象です。
     心と体の成長がもたらす、人格の成長といったもの。他人への恐怖とアイデンティティークライシスを妥協してゆく主人公と、両手で受けようともみるみるこぼれてしまう程に注がれる伯母からの愛。これらが瑞々しい文章を以って、胸を打つことは確かでした。

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