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    切子の硝子(九)

    • 2014.12.27 Saturday
    • 00:34




     
     ぐっすりと眠る由香子を背にして、寿一は窓際の机に向かった。彼は、これまでに、何度か彼女への手紙を書こうと努めた。自分を切り崩して、その一片でも、理解してくれればと思った。しかし、その筆は容易に進捗することがなかった。
     書きたいことは、呆れるほどの便箋に綴っても足りないようで、また、言葉一つでも十分だという気もした。ただ、いずれにせよ、それは書いたそばから消えていくようで、例え形をなしたとしても、三角を書いたはずが円になり、円を書いたはずが球になり、寧ろ、誤解を招くようなものしか書けなかった。それもそのはず、彼は、由香子に書きたいことが、もう、見えなくなっていた。
     それもこれも、彼女にもう一度会えば、おのずと見えてくるはず。
     寿一はそうした期待とも、策略ともつかない気持ちを胸に、由香子に会った。ただ、彼女が傍で眠る今、依然として、なにも見えない。単純な問題として、彼女に会うべきだったのか、そうでなかったのか、先立っていた後悔さえも、今となっては、もう、どうでもよくなっていた。彼はただ、散漫に景色を眺める人のようになって、しばらくソファに掛けていた。
     ペンを置いて、寿一は思った。彼女と星を見ることができなかった。いちごも、一緒に食べなかった。百合の花も、切子のグラスも、欲しいと思わなくなった。手紙の内容も、由香子の体温も、無意味の中に見失った。彼は、何をどうしたいのか、この疑獄のなかを一人、彷徨った。
     ふと、ベッドを振り返ってみる。由香子は、行儀悪く引っ張ったシーツで、からだを包んでいる。彼は小さくため息をついて、彼女からシーツを剥ぎとった。それから、バスローブの間から肌蹴た彼女の胸元に、いつも、そうしていたように、そっと耳を宛がった。
     力強く、撥ねる音がする。弱々しい寿一のそれとは違った、いのちの染みた運動が、はっきりと耳を打った。由香子の細い腕、細い首からは、想像もつかないような、逞しい鼓動。寿一は、驚いた。
     彼の散漫だった感覚が、由香子の心臓に注意した。安心という言葉が、いちばんかと思った。
    「由香子は、大丈夫」
     そうした安心が、寿一の胸に兆すと、彼は、それを嬉しいことだと理解した。
     星なんて、見なくてもいい。いちごも、食べなくていい。百合の花も、切子のグラスも、手紙も、もう必要ない。由香子は、きっと自分よりも逞しく生きてゆくことができる。伝わらないくらいが、きっと、丁度いい。過ごした時間を、彼女の心臓は、きっと覚えていてくれる。寿一は、由香子のいのちに、任せることにした。
    「あなたなら、きっと、大丈夫」
     そう言葉にして、寿一は、彼女の額に、そっと口付けをした。むやむやと言って、寝返りをうつ由香子の傍で、彼は、僅かだけれど、こころが軽くなった気がした。それで、少しだけ笑った。
     彼は、書きかけた手紙を丁寧にたたんで、そっと屑篭に葬った。
    「ありがとう」
     短い冬の日が、雨戸の隙間から少し、こぼれていた。寿一は、由香子に、会ってよかったと思った。
     

    切子の硝子(八)

    • 2014.12.26 Friday
    • 22:59


     八
     
     由香子の眠った後、寿一は、熱いシャワーを浴びた。湯がバスタブに撥ねる音で、彼女を起こさないように、肩から、背、腰から腿へと、文字通り流した。
     鎖骨を打った湯は、胸に下りてゆかないものがある。それは脇へそれて、薄らと血の色を浮かべた彼の二の腕を、さらさらと、意志をもっているかのように、流れてゆく。そのまま、腕に纏わる血管の隆起に沿って、彼の掌のうちに溜まっていた。熱を欠いた、生ぬるいものが、指と指の間隙から滴ってゆく。寿一は、これと一緒に、今し方の由香子の感覚も、熱を失って、流れてゆくのを感じた。だから何だと、思った。彼は反省しなかった。ただ、わかっていたから、惜しいとも思わなかった。仕方のない様に、残念だと思って、流れてゆく水の中に、彼女を見失う自分を、はっきりと見つめていた。
     

    切子の硝子(七)

    • 2014.12.23 Tuesday
    • 09:16



     
     
    「少し、眠ったら?」
     由香子は、ベッドにからだを預けたまま、今夜の寿一を、そう窘めた。彼女の視線の先、背を向けたソファに掛けている彼は、まだ、何とも言わなかった。
    「そうだね、少し、休もうか」
     寿一は、いよいよ分別をつけかねた。それで、こうしてアームレストに肘を置いて、頬杖を突いたままでは、本当に樹木の類に化けてしまいそうだという気になって、思わず、無感動な体を、無感動なまま、ソファから引き剥がした。
    「眠るの?」
     寿一は、由香子の傍に腰を下ろして、そう聞いた。
    「うん」
    「僕も、少し、眠るね」
    「うん」
     瞼を下ろした二人の間に、この、少し、という言葉だけが、濾過されずに残った。互いの間に蟠った言葉の、その意味を、ゆっくりと確かめるようにして、寿一は由香子の手をとった。 
     寿一は、今夜、由香子に会って、それが何になると思っていた。彼女に会うことは、決着したこころを蒸し返すようで、百万と一回目を生きる彼にとって、まるで無意味なものに他ならなかった。無意味なものは、悲しい。寿一は、由香子を悲しみたくはなかった。苦しそうに、それでいてきらきらと笑う由香子を、かわいそうだといって、楽しそうにする由香子を、悲しみの色で塗抹して、無意味の中に見失うことを、残念に思った。それでも、寿一は由香子に会った。彼は、彼女に会いたかった。例え、この暴挙の結果が、彼の予見を裏切らなかったとしても、手を絡める由香子の、見詰める先の由香子の、その存在を見失うことになったとしても、会いたいと思った。そうして、寿一は初めて、それを、一度だけ言葉にした。
    「会いたかった」
     由香子は、吐く息の間で、小さな返事をした。
     静かな夜の街は、息を吹きかけたように曇る硝子の向こうで、次第にその輝きを失っていった。
     

    切子の硝子(六)

    • 2014.12.20 Saturday
    • 02:19
     

     六
     
     二人は、部屋に戻ってから、それぞれ手を洗った。由香里は、上着をハンガーに掛けた。寿一は、ネクタイをゆるめて、窓際のソファに掛けた。そこからは、湾を跨いだ先に、さっき二人で食事をとった席が、しっかりと見えた。
    「歩いたね」
     由香里は、そうね、と力無くこたえて、ベッドに倒れ込んだ。
    「ここからだと、景色、きれいだよ」
    「うん」
     返事はするものの、シーツに顔を埋めたきり、上げようとしない由香里を見て、寿一は、緊張の緩むのがわかった。それで、大きく息を吐いて、また、広がる夜景に目を向けた。
     暫くぶりに、由香里と電話で話したとき、寿一は、よくわからなかった。
    「ねえ、落ち着いたら、会えるよ。あれが最後なんて、いやだ」
     彼女のその言葉に、そうだねと肯うだけで、気持ちは追いついてゆかなかった。少なくとも、寿一には、あれでよかった。
     
    「あなたは違う」
     
     あのときの、その一言で、十分だった。祝福された、百万回目を生きる彼女に、呪われた、百万と一回目を生きる彼のことは、わからない。百万と一回目を生きる寿一は、百万回目の死と引き換えに、望んで、不自由となった。理解し合う幸福、愛する人とわかちあう幸せ、食べて、浴びて、泣いて、感じて、生きる喜びを全て売り払った。その対価として、小さな心臓のうちに、孤独な、永遠の愛を買うことが出来た。寿一は、これが欲しかった。百万回目を生きる猫からすれば、それはきっと、愚かな不自由と言って間違いなかった。
     そんな寿一は、もう、かつての彼ではなかった。それで、次に由香里と過ごす時間が、もし、胸に届く前に、散ってしまったら、もし、喉を通るものと同じ、焼失という末路を辿るのなら、きっと、彼は由香里に会ったことを後悔する。会わずに後悔することはなくとも、会えばわからないという気後れが、寿一のこころを、文字通り引っ張った。
     ところが、由香里はこうして、すぐ傍にいる。手を伸ばせば、きっと、細くたおやかな指を絡ませて、しっかりと握ってくれる。寿一の手を、しあわせに、包んでくれる。彼は、この幸せがわからなくなったわけではなかった。むしろ、その方面に対して、彼の感覚は依然として鋭敏に働いた。ただ、寿一は、このしあわせを、しあわせだと感じたその先を思い遣ると、遣る瀬の見当たらない、申し訳ないという気持ちが、きっと肺葉の淵に募るだろうと予見した。そうして、その予見が、彼の手をずっと臆病にした。
     部屋は、静かだった。眼下に広がる、大きく波打つ黒い海のように、寿一の心は、一層時化ていった。
     

    切子の硝子(五)

    • 2014.12.19 Friday
    • 23:49



     
     注文した料理が、次第に、テーブルを隙間なく埋めてゆく。
    「美味しい?」
    「うん」
     由香里は、ぱくぱくと、品好く箸を進めている。中でも、山芋の鉄板焼きが、その気に召したようだった。彼女が、大きめのスプーンをすっと縦に入れて、そこから適量を掬いあげると、まだ熱い鉄板にこぼれたソースの焼ける香りが、じりじりと、高く上った。鯵の南蛮漬けが、玉子のように明るい。水羊羹大に造られた鯛の刺身は、白花色に透き通った身が、八朔の果実のようにぎゅっと押し詰まっている。上手にさばかれた、梅色の皮目には、しっとりと脂が浮いていて、これが、その美味を約束していた。それで、一方の寿一も、積極的に箸をとった。
     寿一は、味がわからないわけではなかった。むしろ、しっかりとわかった。美味しい。すぐそばの漁港で水揚げされたであろう、新鮮な鯵を使った南蛮漬けの味は、確かに、彼の舌から暇を奪った。ただ、しっかりと、わかればわかるほど、いよいよ、だから何だという気がしてきた。例の如く、喉を通る度に、自分のいのちの、その口惜しさに、どうしようもないくらい、胸がぐっと冷えた。そういった耐えがたさを押し殺すように、寿一は、また、これを積極的に言葉で塗りつぶした。
    「この鯵、美味しいね」
    「こんなふうだと、お魚、食べられるね」
     寿一は、とうとう、無心になって、機械的に口を動かした。由香子は、時折彼の瞳を見た。そして、寿一は、そうした自分の作為を、彼女に見透かされているような気がしてならなかった。
    「僕は、どこまでゆこうと、誰を愛そうと、僕なのだ」
     彼は、喉の奥でそう呟いて、冷えてゆく血が廻って、自分の箸の止まるのを、仕方なさそうに眺めた。要するに、寿一は、失敗した。失敗を自覚する彼には、由香里の前で、役者こそ演じずに済んだものの、どうしても、彼女の表情を確かめるのが、苦痛になった。
     溶けた氷で薄まった烏龍茶を飲み干して、誤魔化すように席を立ってから、寿一は、由香里の手をとった。
    「美味しかったね」
    「うん」
     彼は、味気ない会話で、これをすっかり片付けた。寿一は、案の定、心臓を襲った単純な失望を、海の見える、このお洒落な店に、置いてゆくことにした。
     再び外へ出ると、生憎の雨と、更には、平日の夜だということも手伝って、美しい港は、二人で貸し切ったと言わんばかりに閑散としていた。
    「少し、歩こうか」
     寿一は、灰色の雨空の隙間から、一縷の星が覗くことを、また淡く期待しながら、ゆっくりと傘を広げた。
     

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